第38回 日本和装師会研修会

開催日時:2007年6月30日・7月1日
場所:京都勧業館(みやこめっせ)

第38回研修会に参加して
   福岡支部 原 花織

私は、今回初めて研修会に参加させ
て頂きました。一度にあんなにも大勢
の着物姿を目にする事も初めての経験
で、会員の皆様の艶やかな姿に思わず
見とれてしまいました。
 そんな喜びと、緊張で胸踊る中、市
田先生の「マオリと暮らしと繊維」の
講義が始まりました。興奮して、キョ
ロキョロと落ち着かない私でしたが、
市田先生の和やかでバイタリティあふ
れる話術で途端に引き込まれて行き、
緊張もほぐれ、あたかも私自身もニュ
ージーランドに旅をしてきたかの様な
錯覚になってしまった程でした。
 世界でも有数の豊かな自然を持つニ
ュージーランドに住むマオリ族の暮ら
しと、固有の文化を、数々の写真と、
実際にマオリ族の民族衣裳であるピュ
ピュやポイを身に付けたモデルさんを
使って説明してくださり、とても分か
りやすく、興味深いお話にまたたく間
に時間が過ぎてしまいました。
 現在では、約400万人のニュージ
ーランドの人口のうち、8%約30万
人のマオリ族も混血等により、純粋な
マオリは少なくなってきている中で、
固有の伝統や文化を消えゆかぬ様、守
り伝える事の大切さと厳しさを改めて
感じました。
 二日間の研修で、様々な文化から新
たに日本の伝統の美を学ぶ事ができま
した。
 私にとって、着物に関してもこれか
ら学ぶ事は沢山あります。お稽古を始
めた頃は、着物の種類も名称さえも分
からない状態でしたが、中山両先生の
御指導の下、少しずつ自分で着る事が
できる様になった頃には、着物の魅力
のとりこになっていました。新しい知
識を得る度に、着物の奥深さを再認識
し、改めて、もっと知りたいと習学意
欲が湧いてきます。着物が大好きだか
らこそ、これからも、技術だけでなく
日本人として伝統と文化を学ぶ事を楽
しんでいきたいと思います。
 最後になりましたが、素晴らしい研
修会に参加させて頂き、本当にありが
とうございました。来年もまた楽しい
にしております。

「大相撲に見る日本の美」
        を拝聴して
  天王寺支部 中嶋キミヱ

 主人が大相撲のファンで、テレビ
をよく見ていたため、私も一緒に見
る機会が多くありました。そんな時、
森山眞弓官房長官が、総理大臣賞を
土俵上で授与したいと言っていると
新聞報道され、 それから十年程経て、
太田房江大阪府知事が同じように、
土俵上でなぜ受賞できないのかと世
間を騒がせていました。
 この間主人は、「大相撲の土俵」も
「大峰山」も昔からの日本の伝統で、
女性はあがれないものなのだ。男女
平等と言ってもこれは別なのだ。昔
から、地方では神社・仏閣や村々の
伝統行事は、連綿と続いた仕来たり
があり、これは日本の文化なのだ。
時代が変わったのだから変えればよ
いと、言うものではないと言っていま
した 。私はそんなものなのかと深く
考えませんでしたが、このたび内舘
牧子先生の講演を拝聴して「女はな
ぜ土俵にあがれないのか」というこ
とが良く理解できました。
 大相撲の土俵とはどんなものなの
か、相撲の歴史や伝統等わかりやす
く説明していただき感激いたしまし
た。
 私は、昨年から主人に連れられて、
大峰山へ行っています。洞川の大峰
山登山口に「女人結界門」がありま
す。そこまでは、女性もたくさん行
っています。しかし、「結界門」のな
かへは、男性しか入れません。女性
は、その場所で男性を見送ります。
女性は無事に男性が下山するのを祈
っています。誰も中へ入りたいとは
言っていません。これが当然だと受け止
めています。そして、登山したい人
は、違う山へ向かうのです。これも
当然のように受け止められています。
私は二年続けてこの場所に出会った
後、このたび内舘先生の講演を聴き
「大峰山」も「大相撲の土俵」も同じ
で、男女平等を振りかざすべきでな
いと思いました。

異文化コミュニケーションの
        講義を聞いて

    烏丸支部 森 博子

 ジェフ先生のお話は、目から鱗の連続
です。日本語も大変流暢で、お上手で、
目をつむって、うかがっていたら、外国
の方だと思えません。ご自分でも、日
本人だと思うことがあると、おっしゃ
ってましたものネ。
 文化とは、生活をしやすくする為の
道具であるとのお話、アゝなる程其の
通り、と納得出来ます。
 好奇心一杯で、最初の留学のとき、
日本についてすぐ、他の人達は休んで
いるのに、一人で街へ探検に出かけ、
好奇心をすぐに行動に移すことが出来る。
発信力のカタマリって感じです。
 下宿での「お先に」の話。「お先に」
と言うのは、お風呂へ行く事だと思っ
ていらした。また、バス停で、お婆さ
んが「お先に」とバスに乗ったのを、
「乗物のバス」と「お風呂のバス」を、
だじゃれで言った、と思って、下宿で
他の下宿生に話して、初めて「お先に」
の本当の意味を知った等、楽しいエピ
ソードの数々、それを全部、ご自身の
力になさったのですネ。
 文化は、受けつぐ、伝える、変わっ
ていくものである。
 異文化コミュニケーションは、観察
し、それを借りてきて、それを自分の
ものにする。常識、固定観念にとらわ
れず、情報収集し、また情報処理が出
来たら、コミュニケーションはスムー
ズにいくでしょう。
 見方を変えれば、百八十度違う。
 苦手な人を大切にし、よく観察する
ことで、その人の長所を見つけて、そ
れを、自分のものにすることにより、
自分を変え向上することが出来る。
アハアハと、楽しくうかがっている
間に、時間が過ぎてしまいました。
 一方的に、物事を見るのではなく、多
角的に観察し、自分のものとしていく
事が大切なのだなと、これこそ私にと
って、異文化コミュニケーションとい
えるなと、これから少しでも向上がは
かれればと思いました。
 ひろみ先生はじめ、裏方をつとめて
下さった先生方、大変ありがとうござ
いました。

「江戸時代女の旅」
神崎 宣武先生の
     講義をお聞きして
  岡山支部 池田須美子

 現代女性は、生活の安定のもと、交
通機関カード・携帯電話等々の発達で
自由に国内外へと旅を楽しめる時代と
なりましたが、江戸時代の女性がどの
ような旅をしていたのか、講義を楽し
みにしておりました。
 人類には「旅欲」というものがあ、り
同じ場所で同じ事をするのは苦痛で、
どこかに行って発散したいという欲望
があるそうです。
 江戸時代も百五十年間に渡り生活が
安定していた時代で、身分制度や年貢
等により生活の困窮はありましたが、
ホンネの庶民の生活では、農民も農閑
期に得た副収入は自分の収入になり、
それを使って村芝居を鑑賞したり、旅
に出たりすることができたそうです。
 だたし、私用の旅は幕府の禁足や倹
約令に反するのでタテマエはあくまで
も天下泰平と五穀豊穣を祈願する「寺
社詣で」ということでしたが、実は旅
を楽しんでいたんです。
 旅に現金を持ち歩くのは物騒なので
為替という制度ができ、手続きに必要な
印鑑が作られ、 女性の旅は危険なので、
男衆をボディガード兼荷物持ち兼ガイ
ド・宿の交渉人として雇い、また「講」
を代表して参拝した証としておみや
げができ、それを宅配してくれる荷継
問屋も女性の旅の助けとなったそうで
す。
 なんと当時も今と変わらぬ旅の様子
に驚き、私達同様ホンネとタテマエも
うまく使って旅を楽しんでいる女性達
の姿が目に浮かび、なぜかホッとした
安堵感を受けました。
 最後に先生からご紹介いただいた、
田辺聖子さんの小説「姥ざかり花の旅
笠」は商家の妻の道中記を基にしたも
のだそうです。今回先生の講義を聞け
なかった皆様もぜひ読んでみられては
いかがでしょうか。

マオリの暮らしと繊維
理事のみな様方
熱心に受講する会員達