第37回 日本和装師会研修会

開催日時:2006年7月1日・2日
場所:京都勧業館(みやこめっせ)

『よみがえる銘仙』を受講して
  天王寺支部 米田彰子

以前、教室に銘仙の着物を持ってこられた
方があり、見せていただいたことがありましたが、
色・柄が独特で珍しいという事しか
覚えていませんでした。
 しかし今回、「玉糸」と呼ばれる
屑繭を集めてつくった糸で織られているため、
価格が手頃で日常的に使われ、
明治から昭和にかけて流行したが、
華やかな彩色が可能である友禅に
押されて消えてしまった織物であることを
知りました。
また、古着屋で入手されたという
銘仙の品々を見せていただきましたが、
その中に持ち主の名前と血液型が
書かれた特攻服とその袋があり、
生々しい時代背景を感じさせられました。
 そして、作られる国や呼び名は違えど、
現在も銘仙をつくり続けている民族が
いるということを聞き、驚きました。
世界の各地で同じような製法で
つくられているということは、
どこから伝わったというものではなく、
その土地で自然発生し、
暮らしに根付いた織物であるということです。
このような素晴らしい織物が日本では
作られなくなってしまったということは、
時代や好みの変化とはいえ、
残念なとこだと思いました。
 研修会には二度目の参加でしたが、
観光客の来ない遠い外国の離島まで
赴き、その土地の織物だけでなく、
歴史や文化・暮らしをご自身の目で
確かめに行かれる市田ひろみ先生の
行動力と向学心に感服いたしました。
また、多くの写真を交えながら、
見聞してこられた事を私達に詳しく
伝えようとしてくださる熱意が感じられ、
楽しくも身の引き締まる思いで受講
させていただきました。
 和装師会では着付だけでなく、
様々な日本の歴史や文化を
学ばせていただき、感謝しております。
ここで学んだことを実践し、伝えることは
日本文化を伝えることにつながるのだと
感じるご講義でした。

 

「歌舞伎と私」を拝聴して
   烏丸支部 竹中恭仁子

山川静先生 『歌舞伎と私』
“日本の着物は素晴らしい”山川節で
始まる。
 エッセイストであり、元NHKアナウンサー。
邦楽百選、紅白歌合戦、ウルトラアイ、
ためしてガッテン、くらべてみれば、
等人気番組の司会を践んで来られた。
 その中のエピソード、ある番組で男女の
さるを使いストレス実験をした。男女で同じ
条件の冷水に入れた結果、雄ざるは胃が
ただれて胃潰瘍に・・・。対する雌ざるは
全く変化が見られなかった。女はいかに
強いか!!
 その訳は、女は黄体ホルモンを出しそれが
遮断する役目をする。お産に耐えられるように
黄体ホルモンが出るそうだ。
 ある結婚式のパーティーでスピーチし、その
話をされたところ「やっぱり男性女性の
対応はここでも黄体ホルモンの有無の違いが
明らかであった」という面白いお話を聞かせて
いただいた。
 又紅白歌合戦の司会では、歌舞伎の中の
名文句をヒントに歌のイントロに合わせて
七五調で歌を紹介という当時大変流暢な
司会には人気があり、私の記憶にも残って
いる。
 さて、山川先生と歌舞伎との出会いは
幼児の頃、芸には縁遠い富士の由緒ある
『浅間神社』の神主が父である。
しかし広大な境内で見せ物や踊りの稽古は
身近に見て育つ環境ではあった。
─東京の大学で再び歌舞伎と出会い
夢中に。
 ある時富士山頂の浅間神社で厳かなる
祝詞を命ぜられる。酸素は薄いし何もない
山の頂で歌舞伎恋しさの余り浮かんだ
アイデアは声色を使った祝詞であった。
当然神主は失格となる。
歌舞伎役者との出会いは役者の声色で
更に才能を発揮、数々の賞を受賞され
世間も認める正に声の歌舞伎役者としても
活躍されることになる。
浅間神社で目覚めた芸はやがて大学時代
に歌舞伎に開花。 そしてNHK入社後も
当然歌舞伎との深い結びつきとなる。
 本物との出会いから人との御縁まで
午後もあっという間、楽しく拝聴させて
いただきました。
 今年も四人の諸先生方の講演で意義
のある二日間の夏季研修でした。
一期一会、教室に帰りきっと授業にも
活かせることと思います。
 そして微力ではありますが“きものの文化”
“きものの素晴らしさ”を”苦しくなく、着くずれ
しない”の基本を受け継ぎ、日本和装師会
の講師として一人一人の女性に伝えて
いくことが努めと改めて感じました。



「江戸服飾史談」をよんで
    津山支部 菅田 宣子


 研修会二日目の午後は吉田豊先生の
お話でした。
 私が、より深く着物に興味を抱く様になった
のが、時代の流れと共に変化していった服飾
史を勉強する様になってからだったので、
特に江戸の服飾史が聞かれるという今回の
課題はとても楽しみなテーマの一つでした。
 三百年間の江戸時代には、何度かの
財政難がおとずれ、そこを幕府の力で
切り抜けるにはどうすればいいのか、
その時々の将軍の采配で締める事6回。
この現象が起きる時には、風俗が変化
していったと如電は解かれた。
 その中で、私の印象に残るものの中に、
慶長から寛永時代に将軍と一般市民と
親しい関係に保とうとして、将軍家のお祝い
事に多勢の町民を招待し、その席に裃を着て
出席させ、貧しい者は古着だったり、麻布の
もの、ボロボロで解けるのを防ぐため、縄で
たすきがけにした者等ありながらも、代理人
が許されないため、自分のできる限りの装い
で出席させ、治安を保とうとしました。
その影響から町人、百姓でも礼式の時には、
裃を付けていた。
明暦の大火後には、街が区画整備されると
共に、御三家は、地方に寺、墓、遊郭も
郊外に移転し、遊郭に通うのに武士の着物
は紋付のため、その紋所を隠すために外被を
着るようになり、それ以前から、外套として
着ていた羽織が一般にも着られる様になり、
着丈、袖丈等もその時代の風潮に合わせた
変化があった。
 また女性の衣服も染織、織物の技法の
発達でさまざまな高価な小袖が、
作り出され、競い合い、花見には、
桜木にロープを張って、それに着て来た
小袖を幕として掛けて、自慢しあった
事から付けられた花見小袖。
 大柄で、派手な衣裳に“しず”という
の錘を付け、裾がぴらぴら広がるのを
防がせたというのも、その時代なりの
面白いものでした。
 先生のお話の中から、幕府の統率力
と裕福な人達との競い合いから生まれた
染色、織物の技法、帯結び、髪型、
生活習慣などとても楽しく、今まで
勉強してきたことをより深く知ることが
出来ました。
 先生は最期に当時の女性が
愛読していた大衆小説の草双紙の
実物を見せて下さり、その中に
描かれている浮世絵は
「高級な絵ではないのに、今になって
貴重な資料の数々を見せて頂くことが
出来、とても満足で充実した気持ちに
なれた90分間でした。
 今回の講演を糧に今自分達の
周りにあるものに感謝し、きものを
一人でも多くの人に伝えていき、
たくさんの事を知っていきたいと
思います。



「伽羅の正体」の講義を受けて

   七条支部 桜井正子

 研修会二日目早朝より厳しい
ハンパじゃないこれぞ和装師会研修会!?
という雨の降り方。今日の午前の講義の
「伽羅の正体」この謎めいたテーマに
どきどきわくわく、会場いっぱいに広がる
お香の香りに包まれながら講義は
始まりました。まず最初は歴史のお話で、
香りの最初は古代メソポタミアでの薫香で
西洋においては身体につけたり防腐剤として
利用したり、その後日本へは仏教と共に
伝来し、日本独特の繊細な感性で香道が
形成されたことを知りました。
香道の発達により香木を包む和紙や竹筒
またそれを納める志野袋、それを封じる紐、
その結び方、お道具、歌等々工芸的な
楽しみや文学的な楽しみ、さらに精神の
鍛錬、果てしなく広がる香道の奥の深さに
脅威を感じました。日本の文化を誇らしく
思いました。そして次に香木のお話、
白檀、沈香、そしていよいよ今日の
テーマの「伽羅の正体」とはなんぞや!!
何も知らない私は恥ずかしながら伽羅を
香木とは思わずその響きから動物性の
ものかなと思っていました。
ところが先生の説明によりますと
長い年月をかけてできる樹木の中に
たまった樹脂で沈香の最上品だと
いうことがわかりました。
産地も限定され産出も少なくその香りは
幽玄無比、その価値が金と同格だと
いわれる訳がわかります。
それにまつわるエピソードもとっても
興味深く、伊達家と細川家の伽羅の
良木をとりあっての殺人事件にまで
発展したお話や時代の流行り言葉で、
伽羅を焚きつくす=倒産する、
伽羅の油=良質のびんつけ油、
伽羅を多く持っている=金持ち、
伽羅の女=容姿の良い女性・・・
講義を受けているうちに段々と
自分なりの伽羅の正体が解かって
きました。その香りも知らないのに
引き込まれてゆきました。
いつか香りを理解し、香りを知り、
香りと対話して香りを楽しむ香道の
世界をひも解きたく思います。
今日の香りに最適の天候に感謝
します!!先生のスライドを交えた
解かりやすいお話、そのうえ匂い袋の
おみやげまで頂きありがとうございました。