第34回 日本和装師会研修会

開催日時:2003年6月28日・29日
場所:京都勧業館(みやこめっせ)

教育を話された林先生の「社会の基本は家庭」という意見を伺って常識ある考え方をされる先生方もいらっしゃるんだということ、日本の教育に力を添えて下さっていることに希望をもちたいと思います。それぞれが命を大切にして下さいってもっと自分を大切にすることを学んで欲しいと思います。そうすれば、他人を大切にすることが自分を居心地よくするんだってこと理解できると信じます。お母さんには、まっすぐに子供に向き合ってください。一日数分でもいいから「あなたが大好きよ、大切よ」って抱きしめてあげて欲しいなと、自分のこと思ってくれる人が一人でもいると感じることが出来ることが大切だと思いました。
狂言師の茂山千三郎先生「日本の和らい」という題目でお話をされ、狂言「千鳥」を演じて下さいました。狂言の歴史は今から六百年前、室町時代に成立との事。すると歌舞伎は今年四百年祭の記念行事があちこちで催されておりますが狂言の期限の方が二百年も早かったのです。狂言はもともと庶民の日常の一こまを取り扱った笑いの芝居であり野外劇、大道芸に近い芸能だった、その六百年の歴史の中で、江戸時代の狂言役者は、士族の「お抱え」となり、又明治政府により要人や外国の使節を迎えての儀式にのみ上演するといった一部の人達だけのものとなり庶民性が失われてしまったのだそうです。狂言は博物館に納まっていた様な古典ではなく肩肘を張らず大笑いしながら見るエンターテイメント。日本人の笑いの原点だと思いました。

上山先生の講義と資料で、シルクロードを明治の終りの三度にわたって旅をした大谷探検隊の偉業を知ることができました。探検隊の橘氏、吉川氏らは、仏教伝来の経路・遺跡の調査を主な目的として、「李柏文書」「花樹対鹿錦」など貴重な品を収集されました。砂漠で飲料水がなくなったり、進む方向は人骨に頼るなどの苦難があり、絹ならば五十倍の利益になるものが経典では、一銭の利益にもならないという旅をした人々が、仏教者としての強い信念と誇りに支えられていた様子がわかりました。また、探検隊が持ち帰ったトルファンの墳墓で発見された「花樹対鹿錦」の断片が千三百年の時を経て復元されたビデオでは龍村氏の仕事人としての探求心に感銘しました。その錦と法隆寺の「四騎獅子狩文錦」が図柄や織り技から六百年頃に長安同じ工場で同じ織りの設計者によって作られた物ではないかと推測されるというから驚きです。柄はペルシャ、織りは長安という錦が、方や小野妹子の手で飛鳥奈良という国際的な文化交流のあったこと、それが現在日本で時代を超えて再び交流したことは何とも不思議でなりません。


結髪は、京ー島原 大夫。 衣裳は、江戸ー吉原 花魁。 結髪は独学で学んだ。独学で苦労して身につけたと聞き、改めて花街の敷居の高さを感じ、それに負けない苦労と努力はいかばかりとおもいました。普段は15分で仕上げる、こても使わず、びんみの・びんはり・つけかぶ・紺紙を使い見事におふくが結いあがり、贅を尽くしたこうがい、てらし・花笄・平打ち・赤玉・びらなどを飾り完成しました。太夫になるのは十八才、紋は、館の紋を使用する。島原の太夫は、現在四名であり最高位の松の称号を持つため公家に失礼にならないために素足となった。日頃知ることのできない太夫について聞くことができました。歴史や文化など総合的な幅広い知識を感じ、石倉先生の着付けは、女を女らしく、色気のある姿に着付けるのには男衆でなければならないという花街の人の言葉を思い出しました。髪の結い方、きものの着方、姿形で年齢や職業や身分がわかった時代だからこそ太夫と花魁はこと細かい違いがあります。技を盗み技を磨き正に「技に生きる」という言葉にふさわしいお二人の姿に自ら追い求め学び努力することを学ぶことができました。